しあわせになってよ

 

始めに申し上げますが、わたしは関西ジャニーズJr.についてもFunky8についても"ド"をいくら付けても足りないくらいのド新規です。去年の秋ごろ彼らの存在を知って、見ていくうちにその魅力に気付き、年始のなうぇすとで完全にオトされたド新規です。まだ彼らを見始めて数ヶ月。もちろん過去の映像やエピソードなんかはこれでもかってくらい探りましたが、ド新規であることに変わりはありません。そんな私の、関西ジャニーズJr.、そしてFunky8に対する想い、というか考え。とりあえず書いてすっきりしたかった。

 

 

まず、発表されましたね、"少年たち"のビジュアル。「足りない」。それが第一。「なんで?」彼らがそこにいない理由がわたしにはわからない。ずっと当たり前のように冬も春もそこにいたのに、急に消えた。「漂流すんの早くない?」春に松竹座を任されていた4人はそこにいるのに。あの時はしょうがなかった。せっかく関ジュをバックに付けてくれるWESTの手前、全員が松竹に残るなんて出来ない。あの4人の選抜に、大した意味はなかったと思いたかった。けど今回、あの時静岡に行った4人が丸々いなくて、なんだか、明確に線を引かれた気がした。こんな言い方はしたくないけれど、「可能性を残された4人」と、「そうでない4人」。春の疑惑が、夏に確信に変えられた気がした。「8人で公式グループになりたい」「8人で単独コンサートしたい」。本人達も、周りのファンも、声に出してる想いは一緒なはずなのに、声に出せば出すほど遠ざかっていくような気がしてならない。もともと不安はあった。私が見逃しているだけかもしれないけれど、ひとりから「8人」に関して明確な何かが発された記憶がない。彼から、「8人」に対しての拘りを見せられた記憶がない。Funky8のセンターだと言われているにも関わらず、そのポジションへの執着心を見た記憶がない。どちらかというと「端っこのほうが落ち着く」と言ってみたり、消極的な気さえする。そもそも、「8人」の中で、「8人でいること」に対する想いは統一されているんだろうか?要所要所でその「想い」は一緒だと言われているけれど、果たして本当にそうなんだろうか。もちろん、口には出さないだけで本当は心の中に秘めてるのかもしれない。長いJr歴の中で、今あるものが続くわけじゃないこと、無くなった時の当人やファンの気持ちを誰よりも分かっていて、それでいて口に出さないのかもしれない。本当の気持ちは彼にしか分からないし、わたしが考えたところで何も変わらないけれど、それでも不安は拭えない。「8人」であることに固執し過ぎていると言われても、否定は出来ない。どんな形でもいいからデビューしてほしい、売れてほしいと願うなら「8人」である必要はないし、むしろ足枷になりうる可能性だってある。けれど、わたしはその可能性も含めて、「8人」を大事にしたい。もちろん個人としても大好きだけれど、「8人」で踊る姿に、「8人」を語る姿に惹かれたから。「8人」に対する想いはわたしたちファンだけじゃなくて、自分たちも同じだと発信し続けてくれるから。「8人」の中で誰かが足枷になるかもしれない、それは今回省かれた4人かもしれない。けれど、たとえ彼らが足枷だったとしても、その足枷ごと受け入れて、バネにして、飛躍できる力が彼らにはあると信じてる。きっとそれがグループというもので、個人では決して出来ないことだと思う。グループの"良さ"も"悪さ"も全部全部受け入れて、「あの時はああだったな」って、「8人」とわたしたちで、笑い話に出来る日が来ることを祈って。

 

 

まとまりのない、つたない文章でごめんなさい。読んでくれた方いたらありがとうございます。次こそ!今まで(2回しかないけど)みたいなバカみたいな妄想ブログ書けたらいいなー!!